山下達郎

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「名曲とは何か?」という、いたって素朴なテーマを真摯に考察してみた時、
山下達郎というミュージシャンを避けて通ることはできない。
逆に、
山下達郎という音楽家をひたむきな耳と無垢な魂で聞き入った時、
名曲とはどういうものか目の前にはっきりとした姿で立ち現れてくる。
それこそが、ポップスの神であり、ポップスの規矩である。

本書にて、
敬意を持って言及させていただいたアーティストの一部を、
以下に掲載いたします。
また、本書には他にも数多くのアーティストが登場いたします。
ご興味のある方は是非ご一読ください。

山下達郎  (Tatsuro Yamashita)

'75年、シュガー・ベイブとしてシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』でデビュー。
'76年、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー。
'80年発表の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなり、ブレイク。
アルバム『MELODIES』('83年)に収められた「クリスマス・イブ」が、'89年にオリコンチャートで1位を記録。20年以上にわたってチャートイン。日本で唯一のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。
'84年以降、竹内まりや全作品のアレンジ及びプロデュースを手懸け、また、CMタイアップ楽曲の制作や、他アーティストへの楽曲提供など、幅広い活動を続けている。
最新アルバムは'05年発表の『SONORITE』。
(オフィシャルサイトより)

「カヴァー感覚っていうのはケンカだからね。山下洋輔さん言うところの、音楽はケンカであるっていうのの最たるものだからさ。乱入文化の最たるもの。どっちが勝つかっていう。カヴァーをやる意味っていうのは、オリジナルを上回るなにかを持っていないと、カヴァーなんて負けだから。それで負けるんだったらやんない方がいい。これは、本当に、音楽としてシビアーな緊張感を強いられるからね。ある意味で快感でもあるけどね。だから『BIG WAVE』みたいな丸コピーだったら、丸コピーのままなんとか超えるように努力しないといけない。これは必死だよ。」
『シンプジャーナル』・1987年2月号・自由国民社

「数字で言えば、100万枚売れても屑は屑だし、逆に1千枚しか売れなくても素晴らしい音楽はある。僕の理想はクオリティと売り上げの幸福な共存。基本的に僕はサブカルチャーの出だから、小田(和正)さんや桑田くんも、ユーミンも皆、初めから大手レーベルでのデビューだけど、僕はただのインディーですから。基本的には常に主流じゃなくて傍流で、傍流には傍流なりのやり方というのがあってね」
『BRIO』・2003年12月号・光文社

竹内まりや (Mariya Takeuchi)

1955年3月20日生まれ、島根県出雲市大社町出身。
1978年、シングル「戻っておいで・私の時間」でデビュー。「SEPTEMBER」「不思議なピーチパイ」など次々とヒットを飛ばす。
結婚後は作詞・作曲家として「けんかをやめて」「元気を出して」「駅」など多くの作品を他の歌手に提供するかたわら、1984年に自らもシンガー・ソング ライターとして活動復帰し、1987年に発表した「REQUEST」以降すべてのオリジナル・アルバムがミリオン・セールスを記録している。
また、1994年発表のベスト・アルバム「Impressions」は 350万枚以上の記録的な大ヒットとなり、日本ゴールドディスク大賞ポップス部門(邦楽・女性)でグランプリ・アルバム賞を受賞。ベスト盤ブームの先駆けとなった。
2007年、6年ぶりとなるオリジナル・アルバム「Denim」を発表。オリコン・アルバムランキングでは二週連続1位を獲得。
独自のスタンスを守りながら、音楽活動を続けている。
(オフィシャルサイトより)

桑田佳祐

1978年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』でデビュー。シャレた詞と独特のボーカルで日本中にサザン旋風を巻き起こす。そのハチャメチャなパ フォーマンスのために不本意にも当初コミックバンドと評されるが、1979年「いとしのエリー」の大ヒットをきっかけに、日本を代表するロックグループと して名実ともに評価を受ける。以降数々の記録と記憶に残る作品を世に送り続け、 時代とともに新たなアプローチで常に音楽界をリードする国民的ロックバンド。2000年1月リリースの「TSUNAMI」が自己最高セールスを記録、第 42回日本レコード大賞を受賞。昨年には待望のオリジナルアルバム「キラーストリート」をリリース、その後ドーム公演を含む全11ヶ所21公演の全国ツ アーを実施。
現在までに、シングル51枚、オリジナルアルバム14枚をリリース。2006年は、ニューシングルとイベントでサザンの夏を迎える。
(オフィシャルサイトより)

さだまさし 

二人組のフォークデュオ「グレープ」でデビュー。2枚目のシングル『精霊流し』が全国的なヒットになり、一躍全国区となる。ソロになってからも、『雨やどり』、『関白宣言』、『道化師のソネット』、『防人の詩』、『北の国から』など数々のヒット曲・有名曲を生み出してきた。その叙情的で文学的な歌詩の世界は独自ものである。また、トークの軽妙さはテレビでもコンサートでもさだの大きな魅力となっているほか、近年では小説家としても活動している。

2007年8 月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行った歌手であり、その回数は3500回を越えている。この回数は純粋にさだまさしのコンサートとして行われたものであり、グレープ時代に行った約400回程度のコンサートや、他人のコンサートやイベントへの出演も含めればステージ出演回数はさらに多くなる。
(wikipediaより)

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